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送り一札之事(古文書)

送り一札之事(古文書)

ひょんな事から入手した古文書の束から、和紙に書かれたこの一枚を見つけた。
(↓プライバシーの問題があるかも知れないので該当箇所は消した↓)

この「送り一札」で興味をひいたものは、
一行目冒頭の「名古屋縣」と、6行目の「切支丹」の文字、
そして、「明治四年」の文字。

「名古屋縣」?
明治初期、1年と数ヶ月のほんの僅かな間であったが愛知県は「名古屋縣」と称されていた。
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※「名古屋縣」
1871年(明治四年)8月29日 廃藩置県に伴い、尾張藩を廃止し、名古屋縣と改称。
1871年(明治四年)11月15日 旧三河国と尾張国知多郡を額田縣に統合。
1871年(明治四年)11月22日 名古屋縣は犬山県を統合。
1872年(明治五年)4月2日 名古屋縣を県庁所在地の郡名(愛知郡)にちなんで愛知縣と改称。
1872年(明治五年)11月27日 額田縣と愛知縣が合併し、現在の愛知縣が成立。
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なぜ「切支丹」?
江戸期はキリシタン禁制の実施手段として寺請(てらうけ)制度がとられていた為、
引越しなどの際にはその移動理由を記した「送り一札」という
身分証明書と移動許可書が必要であった。
ゆえに、この「送り一札」を持って移動先の身元引受人の元におもむき、
この書類を身元引受人が「檀那寺」に届けて戸籍の抹消と新戸籍の成立となる。
いわゆる「戸籍台帳」。
また、この手順を踏まないと俗に言う「無宿人」になってしまう。
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※檀那寺(だんなでら)
自家が帰依している寺をいう。
江戸時代、キリシタン禁制の実施手段として寺請(てらうけ)制度がとられ、
すべての士・庶とも檀那寺をもたねばならなくなった。
檀那寺は寺請証文・寺送り状を発行し、宗門人別改帳などの作成時には、
その家が檀家(だんか)であることを証明した。
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この「送り一札」が書かれた年号は明治四年、
明治六年にキリスト教禁止令が解かれた直近のものであるので、
わざわざ「切支丹」ではないと書かれているのである。
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※キリスト教禁止令の解除
明治四年、欧米を訪問した岩倉使節団は、
訪問する各国でキリスト教迫害について抗議を受け、
明治政府は浦上キリシタンの弾圧を中止し、
1873年(明治六年)キリスト教禁止令が解かれた。
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なお、自身で「古文書」と書いたのだが、
明治四年のものが「古文書」の部類に属するのか、はてさて?疑問でもある。

だが、たったこの一枚で、これだけの日本の歴史が垣間見えるのは実に面白い。

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